Pebble in the sky of rajendra

Nov 22

ハリウッドのマニュアルの基本としてあるのは、大ざっぱに言うと「まず作品の全体像を調和ある形で整え、そこから逆算して細部を決定していく」ということだ。このような考え自体は、欧米では目新しくも何ともない。というよりはむしろ、このような考えこそヨーロッパの思考の保守本流だと言うべきだろう。昔からあるストーリーテリングについての考えを、誰でもすぐに使える形にシンプルに整理したものこそ、現在のハリウッドのマニュアルなのだ。

 だから、シド・フィールドがアリストテレスやへーゲルに言及するのは、偶然ではない。劇作の構成原理として全体像の調和を重んじ、そのための方法論を最初に整備した著作こそ、アリストテレスの『詩学』だったわけだし、「全体性」についての思考自体をヨーロッパ史上最も完成された形で示した者こそ、へーゲルに他ならなかったわけだ。

 へーゲルの弁証法は、常に二項対立に基づいている。ある概念があれば、それと反対の対立概念も存在し、両者は矛盾する。だがこの矛盾が解決されることで、対立する両者を含むより高次の概念が開かれる。そして、このような対立の集積がやがては世界の全体像に至る。世界の内で、部分と全体はスムーズに連続する。

 ものすごくおおざっぱにまとめているが、ハリウッドのマニュアルはこれぐらいにまで要約された上でのへーゲル的な世界観に基づいていると言ってよい。主人公には必ず目的が存在し、その目的を達成するためには、様々な障害と衝突せざるを得ない。目的の達成のためには、それぞれの障害を乗り越える必要があり、一つ一つ乗り越えていくたびに、最も大きな最終目的に近づいていく。そして、このような構成を最も全体的に調和が取れた形にするには、主人公と対等に近い立場のライバルの存在が不可欠となる

。主人公の目的とライバルの目的が対立し、その闘争こそが目的の達成に対する最大の障害となり、そこでの勝利がすぐさま目的の達成につながるのであれば、ストーリーの構成は、首尾一貫した調和の取れたものとなる。

 では、『マトリクス』の場合はどうなのだろうか。主人公であるネオの最大の目的は、「マトリクス」の支配から逃れることだ。しかし、この作品で言うところの「マトリクス」とは、全ての人間が知らず知らずの内にその内部に閉じ込められている巨大な仮想現実世界そのもののことだ。作中でモーフィアスが言うように、「マトリクス」は、あらゆる時に、あらゆる場所で、人間の周囲に常に偏在する。

 ここに、『マトリクス』という作品の抱えた最大の問題がある。「マトリクス」とは世界そのものの構成原理のことであり、実体として具体的に存在するものではない。ゆえに、「主人公ネオ対マトリクス」という、二項対立の図式を作ることはできない。

 つまり、「マトリクス」という概念自体が、へーゲル的な世界観とはうまく結びつかないのだ。「マトリクス」とはどう考えてもスピノザ的な概念なのであり、そのような題材をストーリーの中で処理できたのは、例えばフィリップ・K・ディックであるということになる。

 「マトリクス」という概念は、ハリウッドの脚本システムでは描けない。それでもなお、そのシステムにのっとってストーリーを構成しようとすればどうなるのか。まさにここに、「エージェント」というキャラクターが創造された原因がある。エージェントとは、マトリクスという仮想現実世界の番人・監視者を務めるプログラムであり、仮想現実の内部では「いかにも悪役」という見た目をもって実体化される。

 つまり、「主人公ネオ対マトリクス」という図式は描けないが、「主人公ネオ対エージェント・スミス」という図式ならハリウッドの脚本システムで描ける、ということだ。だからこそ、『マトリクス』第一作の脚本は破綻なく構成することができた。マトリクスそのものとの戦いは一切描かれず、ただマトリクスの代理者としてのエージェント・スミスとの戦いだけが描かれる。そして、エージェント・スミスに勝利した時点で、「マトリクスとの本当の戦いはこれから」ということだけが示唆されて第一作は終わる。

 確かに、第一作だけを見れば、緊密に構成された脚本であるように思える。しかし実は、この脚本はこの時点ですでに続きなど書けないようなシロモノなのだ。所詮はエージェントは実体を持たない存在であり、実体のないマトリクスとは全く異なる。したがって、どれだけエージェントとの戦いを積み重ねようとも、マトリクスとの戦いには永久に到達しない。

 だから、同じやり方をそのまま続けて、マトリクスが支配する世界の全体像を描こうとすること自体がすでに失敗だったのだ。それでももしやるとするなら、マトリクスは到達不可能な不可視の中心とした上で、その周囲をめぐるエピソードだけを積み重ね、その世界の全体像は決して示さない、そんなやり方しかないだろう。

 しかし、ウォシャウスキー兄弟は、この題材とハリウッドの脚本システムが全くそぐわないことに自覚的でなかった。するとどうなるのか。このシステムにのっとっているかぎり、実体を持つ敵との戦いをストーリーの中心に据えざるを得ない。その結果、本来はマトリクスの代理人に過ぎなかったはずのエージェント・スミスの、作中で占める割合がどんどん増大することになる。

 二作目以降、エージェント・スミスがネオに対して、「私とお前は特別な関係で結ばれている」というようなことをしきりに言うようになる。しかしこれは、ただ単に脚本の構成上そのようにしか書けなかったことをウォシャウスキー兄弟が自覚できていないというだけのことだ(ついでに言うと、三部作を通して、多くのキャラクターがいかにも哲学談義といった風に世界の原理を語っている。「誰もが選択を迫られる」とか「誰でも役割がある」とか「私の役割はこれ」とか「人は目的を持って存在する」とか「お前は私の目的を奪った」とか。しかし、これらは全て、「ストーリーやキャラクターはこのように構築しなければならない」という「ハリウッドの脚本システムの原理」をそのまま語っているだけなのだ。そんなものは別に世界の普遍的な原理でもなんでもないんだよと言いたい)。

 そして、ついに三作目では、「マトリクス」という概念自体がむしろ脇役のようなものになり、「主人公ネオ対エージェント・スミス」という二項対立がストーリーの中心になってしまったわけだ。

 ハリウッドの脚本マニュアルは万能ではない。このマニュアルでは処理しようのない題材もあるということを逆説的に証明してしまったのが、『マトリクス』三部作だったのだ。

『マトリクス』三部作はなぜ失敗したのか - The Red Diptych

―― 海外にはすでにインフレターゲットを導入しているところもあるようですね。

岩田
 イギリス、カナダ、スウェーデン、オーストラリア、ニュージーランドなどで導入しています。その結果、それまで2ケタに近いインフレだったものを、ターゲットどおりの2%に押さえ込み、その一方で、経済成長率は3~4%と、それまでの2倍近くに伸ばすことに成功しています。現在インフレ目標採用国は25ヵ国に上ります。

―― 10年前にもインフレターゲット論がさかんに言われていましたが、反対派の人たちは、“インフレターゲットはもともと高インフレの国がインフレを抑えるためにターゲットを設定した。デフレの国がインフレターゲットを設定してうまくいった例はない”と言っていました。

岩田
 それは違いますよ。ニュージーランドがインフレターゲットを導入した時は目標インフレ率の下限はゼロ%だった。それがアジア金融危機でインフレ率がゼロ%を割って一時デフレになりましたが、金融政策によってデフレを脱却してインフレにしている。イギリスでは2%にターゲットを設定していて、物価上昇率が1%以下になると、イングランド銀行総裁は、なぜそうなったのか、今後どうやって2%にするのかを、説明しなければいけない。こうした国のほとんどが、ターゲットの下限を1%に設定しています。これが世界的な標準的な理解です。
 アメリカではインフレターゲットは導入していませんが、それでもデフレになりそうな時に強力な金融政策を行っています。アメリカのインフレ率は現在1.8%ですが、それでも長期的に考えると、さらに低下する可能性が大きいということで金融緩和している。これが世界の常識です。しかし日本では学界でさえも標準的理解になっていない。
 世界を見渡せば、インフレターゲットを導入した国は、いずれも実績を残している。そうした前例がいくらでもあるんだから、一度やってみればいいんです。日本が失われた10年を繰り返さないために、それが絶対必要なんです。

Yahoo!オンビジネス - デフレを放置し続ける日本銀行は、もういらない

“岩田
 大不況における経済対策というのは、財政政策と金融政策が一緒になって初めて効果が出るんです。即効性があるのは財政政策ですが、それを持続させるのは金融政策があって初めて可能です。これは1929年の世界恐慌から学んだことです。ですからリーマン・ショック後、世界各国の中央銀行は貨幣の大量供給に踏み切り、具体的には長期国債やCPの買い入れを行っています。
 ところが日銀は金融緩和に消極的です。リーマン・ショック後、流動性が不足したため、一時、CPなどの買い入れを進めましたが、その後すぐに減らしています。年末、年度末にはまた増やしても、それが終わるとまた元に戻す。結局これは信用対策であって景気対策にはなっていません。貨幣供給量の増加につながる中央銀行の資産量をみればそれは明らかです。たとえば米国のFRBは、今年5月段階で、リーマン・ショック前より2.4倍資産を増やしていますし、イングランド銀行は1.9倍です。ところが日銀の資産はわずか2%しか増えていません。その結果として日本ではデフレが進むことになったのです。
 この政策を転換して、日銀が国債(とくに長期国債)や社債、CPを買い入れ、貨幣の供給量をどんどん増やしていく必要があります。こう言うと、日銀の信用がなくなるというようなことを言いますが、アメリカは金融緩和を進めていても、FRBの信用は全然なくなっていません。経済がよくなれば当然、日銀の信用は増すということです。もっとひどいのは日銀券の信用がなくなると言う人もいる。国債を引き受けると日銀の資産が毀損されると言いますが、日銀の資産の既存度合いを考えて日銀券を使う人がどこにいますか。まったく意味のない議論です。”
Yahoo!オンビジネス - デフレを放置し続ける日本銀行は、もういらない

Nov 21




“スマイルスキャンの商品化は、和歌山県の盲学校からの依頼だそうです。卒業生が鍼灸師として独り立ちする時に、自分の顔を見た事がない生徒さんは、自分の笑顔だけでなく、お客様の笑顔も認識できないそうです。彼らがお客様から誤解されず,好かれる顔の表情を教えてやりたい。・・・そんな声が商品になったそうです。” スマイルスキャン - 笑顔の楽校 - 笑顔の楽校

カラオケとかotakuとか、世界で歓迎されている日本の発明は多々あります。その一方で、日本国内では広範に普及しているのに、世界には全く波及しない日本の発明もあるわけです。たとえばカプセルホテル(東京都知事選出馬で政治ブロガーの知名度も高い黒川紀章氏の発明)なんかですね。これはたぶん日本限定、探せば見つけられるかも知れませんが、カラオケやスシバーと違って世界中に広まってはいません。日本ではこれだけ広まっているのに。

 その昔、知り合いのロシア人留学生が「アレはホテルではなく死体安置所だ」みたいなことを言っていました。生きた人間をああいう空間に押し込めるなんて信じられないとか。そりゃそうですよね、人間をモノとして扱う発想がないと、カプセルホテルなんて思いつかないでしょう。アレと似たようなものと言えばまさに死体置き場だったり、せいぜいが暗めのSF映画の宇宙船でコールドスリープ状態の乗組員を収納するスペースくらいですよね?

 日本以外の文化圏の人間からすれば悪夢の産物でしかないものを、しれっと日常に紛れ込ませているのが現代の日本社会なのかも知れません。その一つがカプセルホテルであり、今回の「スマイルスキャン」だったのではないでしょうか。笑顔とは自然に出てくるもののはず、それを機械で作り出そうなんて企てに戦慄しないでいられる社会は日本くらいであり、日本以外の文化圏の住民からすれば、まさしく機械が人間の感情をも支配する悪夢のような未来を想起させるものだったのでしょう。

 刑務所跡地が観光スポットになっているところもあって、中には「刑務所一泊ツアー」みたいなネタ色の強い催しもあるそうです。そういうものを「娯楽」として消化するような人にしてみればカプセルホテルもスマイルスキャンも話のタネとしては喜ばれるのでしょうけれど、日本のすごいところはこれがネタではなくマジだというところです。「ディストピアごっこ」の舞台装置としてカプセルホテルやスマイルスキャンがあるのではなく、各地の職場で導入されるなど「日常」に組み込まれている――つまりはアトラクションとして幽霊屋敷が作られているのではなく、幽霊屋敷で生活することを強制しているようなものであり、まさに気が狂っていると見なされても不思議ではないと思います。

最低の発明であることが理解できない日本 - 非国民通信

J’s GOAL | フォトニュース | [ J2:第49節 甲府 vs 湘南 ]

[ J2:第49節 甲府 vs 湘南 ]
試合終了直前、湘南ベルマーレが劇的なゴールをあげた!その瞬間、アウェイまで駆けつけたサポーターの喜びが爆発!そして体重がかかった柵が曲がってしまう事態に!幸い大きな怪我人は出なかった。試合後、湘南サポーター及び真壁社長は、柵がこのようになってしまい、甲府に対して本当に申し訳ないことをしてしまったと語り、皆で弁償をするべく寄附を募ることになった。

J’s GOAL | フォトニュース | [ J2:第49節 甲府 vs 湘南 ]

[ J2:第49節 甲府 vs 湘南 ]
試合終了直前、湘南ベルマーレが劇的なゴールをあげた!その瞬間、アウェイまで駆けつけたサポーターの喜びが爆発!そして体重がかかった柵が曲がってしまう事態に!幸い大きな怪我人は出なかった。試合後、湘南サポーター及び真壁社長は、柵がこのようになってしまい、甲府に対して本当に申し訳ないことをしてしまったと語り、皆で弁償をするべく寄附を募ることになった。







Page 1 of 314